鑑草 中江藤樹

第三巻
不嫉と妬毒の報い


(現代語訳:青山明史)


序 不嫉の得と妬毒の損

 不嫉(ふしつ)とはねたまないことです。ねたみの中でも男女間のやきもちのことを悋気(りんき)といいますが、悋気の心と行いがないことが不嫉です。
 妬みは三毒の邪心なので、その人の明徳仏性をそこない、人を苦しめ、ついには人を殺すことさえあるので、その恐ろしさは毒薬以上ともいえます。だから悋気のあまり人を苦しめたり、殺したりすることを妬毒(とどく)と呼びます。
 不嫉は守節の善行ですから、必ず素晴らしい報いがあります。妬毒は夫に背く悪行ですから、必ず恐ろしい報いがあります。
 不嫉には三つの利益があり、妬毒には三つの損があります。夫が他の女性に心を通わせている時に悋気を起こさず、不嫉の本心が明らかだったら夫は必ず妻の賢徳を感じ、自分の非を悔やんで浮気をやめるものです。在原業平が浮気して河内の女のところへ通っていましたが、妻の不嫉の本心を知って河内通いをやめたという故事があります。これが第一の不嫉の利益です。妻が不嫉の得を明らかにしていれば、家族は皆仲良くなって大いに繁栄するものです。これが第二の利益です。妻の不嫉の本心が明らかであれば、夫もそれに心を打たれ、妻をほめる言葉が世間にも伝わって末永く語り継がれるでしょう。その上、心に三毒の炎が燃えることがないので、明徳仏性が明らかになって、現世安楽、後生善処という報いがあります。これが第三の利益です。
 反対に、妻の妬毒の邪心が激しくて夫が他の女と会うのをなんとか邪魔しようとしたり、相手の女に激しく当たって恐ろしい行いがあれば、夫はそんな妻を見て興ざめし、毒蛇のように恐ろしいと感じます。そしてついには離縁の原因となります。悋気は夫が離れていくのを恐れる心から起こりますが、かえって別れる羽目になるのです。これが第一の妬毒の損です。妬毒の邪心が深ければ、必ず家庭内は険悪になります。それだけではなく、妬毒の悪行はその報いがすぐにやってきます。ある人は身体が悪くなり、ついには妬毒が体内で毒蛇へと変わってしまいました。ある人は子孫が絶えて、家が滅んでしまいました。これが第二の損です。妬毒の邪心が激しければ、夫から馬鹿にされ、嫌われるだけでなく、世間に悪い評判が立ち、その悪名は先祖の名まで汚すことになります。その上、心に三毒の炎が常に燃えているので、明徳仏性を焼き尽くし、生きている間は胸を焦がして苦しみ続け、死んだ後には地獄の責めを受けなければなりません。これが第三の損です。
 こうした理(ことわり)を理解せずに、悋気がなければ自分が損をする、悋気は自分に得があるなどと思い違いをしているために、妬毒の邪心がどんどん強くなって、激しく自分を苦しめ、人を苦しめる事が世間には非常に多いのです。もしもよく気持ちを落ち着かせて、心を正しくして、不嫉に利益が多く、妬毒は損であることを十分に理解すれば、三毒の邪心は自然になくなり、不嫉の明徳仏性を明らかにすることができるのです。


[ メモ ]

 【三毒の邪心】

 三毒とは、仏教における人間の三大煩悩。貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三つで、貪は必要以上に欲張ること、瞋は怒ること、癡は真理を知らない愚かさのことです。
 邪心の「邪」は原文では「虫偏に也」という字で、これは蛇のことです。蛇は古来より嫉妬心の象徴として使われてきました。キリスト教においても、「七つの大罪」の一つが嫉妬ですが、蛇と犬が象徴とされています。ここでは「蛇心」ではちょっとわかりにくいかと思い、単純に悪い心という意味の「邪心」と訳しています。


 【妬毒が体内で毒蛇へと変わる】

 これは後で紹介する訓話に出てきます。

 


公開日 2010.12.25

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