鑑草 中江藤樹

第二巻
守節と背夫の報い
第四話 不義密通していた男の改心
(現代語訳:青山明史)


 明の太祖のの時代に、都に住んでいたある奉公人が隣の家の女房と密通していました。ある夜、隣の亭主が用事のため外出するのを見た間男は、隣家にこっそりと忍び込んで、その女房と一緒に寝ようとしていたところ、亭主が急に帰ってきました。間男は見つかったのかと驚き、あわてて床の下に隠れました。女房は何事もなかったように「何か用があってお戻りになったのですか」と尋ねました。亭主は「外に出たら今夜はとても冷え込んできたので、寝ているお前が風邪をひくといけないと思って」と答えて、寝床の女房にふとんをもう一枚かけてやると、再び出て行きました。
 間男は床の下に隠れてこの会話を聞き、亭主の優しさに心を打たれました。そして、「ここの亭主はこれほど妻を大切に思っているのに、この女ときたら、薄情にも浮気をしているのだ。このような人でなしと愛し合うなんて、とんでもない間違いだ。まったくこの女房は犬畜生と同じだ。生かしてはおけない。」と思いました。
 そして男は女房の寝室に戻ると、腰の刀を抜いて女房を刺し殺してしまったのです。
 次の日の朝、野菜売りの老人がいつものようにその家へやってきて、「奥様、野菜はいかがですか」と大声で呼びかけましたが、誰も返事をしません。怪しく思った老人が中へ入ってみると、女房が殺されているのを見つけました。そして集まってきた人々は、この野菜売りの老人が犯人だと思い込んで、奉行所へ突き出しました。奉行所で老人を拷問にかけたので、あまりの苦痛に耐えかねた老人は、自分が殺したと嘘の自白をしました。そして老人は死刑になることが決まりました。女房を殺した間男はこれを聞くと、「自分は人を殺して、その上無実の人を死刑にしようとしている。これは罪の上に罪を重ねることだ」と思い、奉行所へ出頭して、その夜に女房を殺した事情を全て白状しました。奉行所がこの一件を国王に報告したところ、国王はこう判断を下されました。
「この男は姦淫の罪は犯したが、殺した女は犬畜生に等しい者であるから、殺人の罪にはあたらない。その上、野菜売りの老人が無実であると、真実を告白したことは大変立派なことである。よってこの男の罪は問わないことにする。」
 こうして野菜売りの老人だけでなく、その間男も無罪放免となりました。
 
(評釈 中江藤樹)
 普通に考えれば、日頃から情けを交わしていたのだから、不義を悔いるような事があってたとしても、その後は密通をやめるだけでしょう。しかしこの男の場合は、隣の女房への愛情がたちまち殺意に変わって非情にも殺してしまったというのは、天の神が男の手を借りて、女房に淫乱の罰を下されたのでしょう。淫乱な人も明徳がないわけではありませんから、淫欲で心が覆われて不義を行ったとしても、心を動かすような出来事があればすぐに良知があらわれるのはこの男の例の通りです。もしこの男が良知を淫乱のために失うことがなかったら、隣の女房も殺されなかったでしょうし、男も恥をさらすことはなかったでしょう。義理を重んじることなく、欲望を抑える努力がなかったために、情けないことをしてしまったのです。

 




公開日 2010.12.15

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