鑑草 中江藤樹

第二巻
守節と背夫の報い
第三話 貧しい夫を見捨てた妻

(現代語訳:青山明史)


 漢の武帝の時代に、朱買臣(しゅばいしん)という男がいました。若い時はひどく貧しかったため、朝夕の食事も満足にできないこともあるほどでしたが、いつも読書を好み、貧しいことを苦にしていませんでした。山で薪をとってきては市場で売って、その日の分の食べ物だけを買うと、それ以上にお金を稼ごうとはしませんでした。そうして毎日ただ本を読み、詩を吟じて暮らしていました。その妻は貧しいことが不満で、夫が仕事に力を入れないのが納得できなかったので、よく夫に「そんなふうに毎日を無駄にすごすのはもったいない事です」などと言うのですが、朱買臣は聞きもしませんでした。
 ある日、ついに妻は夫に言いました。
「一生こんなみすぼらしい暮らしをしていくことは、人目にも恥ずかしく耐えられません。どうか私を離縁してください。」
 朱買臣は何とか思いとどまらせようと、いろいろと説得しましたが、妻がどうしてもと強く言い張ったので、仕方なく妻を離縁しました。
 その妻は、その後すぐに別の家に嫁いで、楽な生活ができるようになりました。
 そして何年かたった時、朱買臣は教養があったので、厳助(げんじょ)という人の推薦によって、会稽郡(かいけいぐん)の太守(長官)になりました。朱買臣の妻だった女はかつての夫が出世して大いに家が栄えていることを聞いて、別れたことをとても後悔しながら日々を送るうちにだんだんと心乱れて、ついには首をつって死んでしまいました。
 
(評釈 中江藤樹)
  人間は義理をもって命の根源として、また幸いの種として、一生の楽しみとするものなのですから、貧しく身分が低いことは恥ずかしいことではなく、苦しむことはありません。もし不義無道の行いがあれば、それこそ恥ずべき事で、寿命を縮め、わざわいを招く元になるので、恐れてやめるべきことなのです。
 しかし朱買臣の妻は、貧乏を恥として、夫を捨てて別の男に嫁ぐという事が非常に恥ずかしいということがわかりませんでした。そのため貧乏を恥じる心で不義を行ったので、結局貧乏を恥じる心で朱買臣と別れたことを後悔して死んでしまいました。本当に善悪の報いとは、出した声がそのままかえってくるこだまのように見事で不思議なものです。
 



公開日 2010.12.8

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