鑑草 中江藤樹

第二巻
守節と背夫の報い



(現代語訳:青山明史)


 守節(しゅせつ)は節を守ることです。守節とは、女の心が清らかで正しくて、情欲の迷いがなく、わが夫一人を大切に思って、他の男に思いを寄せることなく、たとえ夫に先立たれ寡婦となっても他の男とは交際しないということです。
 背夫(はいふ)は夫にそむくことです。守節の反対です。背夫とは、自分の夫を軽んじて、他の男を恋い慕い、淫乱であることです。
 守節は孝行の一端であり、天の理にしたがったことなので、必ず現世、来世にすばらしい報いがあります。背夫は不孝の一つであり、天の理に反するので、現世と来世に恐ろしい報いがあります。しかしながら、この道理をよくわかっている人はほとんどいないので、守節と背夫の報いが見事にあらわれた先例をいくつか紹介しますから、心を戒めるための教訓としてください。一つの話から多くのことを考え、学ぶことが読む人に幸福をもたらすでしょう。
 人の妻たるものは、結婚したばかりの時には、必ず守節の心があって、夫にそむくことなど全く考えていないはずです。しかしながら、夫の愛情が薄くなったことを恨み、または夫の容姿や性格が悪いからと軽蔑し、または夫の家の貧しいの苦にし、または夫の家柄がよくないのを恥ずかしく思ったりする、このような一念はすべて背夫のもとになります。そしてさらに、いい男の容姿にひかれ、あるいは情欲のやり場のなさに心迷い、あるいは悪い男の誘惑に負けて、ついに背夫の淫乱に溺れてしまいます。そうなれば、その醜い心とみっともない行いが世間の噂になるばかりか、恐ろしい天罰の報いがあるのです。そうなることがよくわかっていれば、このような女もその悪い想念を追い払って、人の道を誤ることはないはずです。しかし他の人に見つからなければ大丈夫だろうと考えて、まして天の神様が見ておられることなど思いもよらず、自分を戒める心が弱くて、欲望がどんどん強くなり、ついには迷い溺れてしまうのです。
 昔も今も、男女の密通というのは人に知られぬようにしていても、必ず人の噂になってしまうのです。これはまさに、天の神様の目には、暗闇の夜でも昼間のように見通せるのですから、天罰によって明るみに出るのです。この道理をよく心得て、背夫の念が起きた時は、天の神様が必ず見ていて、やがて噂になり、手痛い報いがあるだけでなく、親兄弟までもが恥をさらすということをよくよく考えて、背夫の念を捨てさってください。
 そもそも、夫の愛情が薄いのも、夫の容姿や性格がよくないのも、夫の家が貧しいのも、夫の家柄がよくないのも、全て自分自身の生まれもった因果の報いであると考え直しましょう。そして孝行と守節の誠を尽くしたら、子孫までもがおおいに栄えることを強く信じて、決して夫を憎みきらう心をおこしてはなりません。


[ メモ ]

 【寡婦】
 読み方は「やもめ」でも「かふ」でもいいですが、原文では「寡」の一文字に「やもめ」と振り仮名がつけられています。

 【淫乱】
 新明解国語辞典によると「性的に無軌道であって、全く手がつけられない様子」のことです。

 






公開日 2010.12.7

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