鑑草 中江藤樹

第一巻
孝行と不孝の報い
第一話 姑の死を望んだ不孝な嫁

(現代語訳:青山明史)


 昔、文安県のある百姓が妻をめとりました。その妻はたいへんな美人であったため、夫は溺愛しました。それが妻を驕らせたのか、姑に対して敬意をはらわなかったので、姑もまた嫁を憎むようになりました。夫が仕事から帰ると、妻は姑が冷たいと泣きながら訴えました。はじめのうちは夫も耳を貸しませんでしたが、妻は何度も繰り返して泣きながら訴えるのでした。
 そこで、ある夜に夫は妻を自分の部屋へひそかに呼び入れました。夫は刀をとりだし、抜いて妻に見せながら言いました。
「お前が母にいじめられるといつも嘆いているので、そんな母は殺してしまおうと思い、この刀を作らせたのだ。どうだ、母をこの刀で斬ってしまおうか?」
 妻は答えた。
「それは私の望むところでございます。」
 夫は言った。
「母を殺す前に、母の嫁いじめがひどいことを隣近所の人たちにもよく知らせておこなくては道理が立たない。これから二月位、お前は母によく仕えなさい。嫁があんなに孝行しているのに、姑は嫁をいじめているという評判が立ったら、お前の望み通り母をこの刀で斬ることにする。」
 妻をこれを聞いて喜びました。それからというもの、妻は姑に熱心に孝行をつくしはじめました。一月もすると、嫁の態度がすっかりよくなったために姑も本来の慈心があらわれて、嫁に優しくするようになりました。
 夫は妻にこっそりと尋ねました。
「最近の母はどうだ?」
「前よりは優しくなりました」
 そう妻は答えました。
 さらに一月たってから、夫が再び妻に姑の様子を尋ねると、妻はこう言いました。
「今では全くいじめられることはありません。自分の実の母のようでございます。この前は殺してほしいとお願いしていましたが、もうその必要はありません。」
 夫はこれを聞くと、刀を抜いて妻を怒鳴りつけました。
「お前は夫が妻を殺した話を聞いたことがあるか?」
 妻は答えた。
「はい、そんな話はよく聞きます。」
 夫はさらに尋ねました。
「子が母を殺すことは?」
 妻は言った。
「そんな話は聞いたことがありません。」
 夫は言う。
「人間というものは孝行を根本とする。親の恩はたとえ命にかえても報いることができないほどだ。妻をめとるのは、親に仕え、子をもうけて一家を繁栄させるためである。それなのにお前は孝行するどころか、姑を悪く言って、私に母を殺すという太悪をさせようとした。この刀を作ったのは、お前を斬って母の心を晴らすためだ。最初にこの刀を見せた時、お前を斬ってしまおうかと思っていた。だが考え直したのだ。お前が母に孝行すれば、母もお前を可愛がるようになるだろう。そうして悪いのは姑ではなく、嫁であることを世間に知らせてから、お前を斬ろうと二月待つことにしたのだ。」
 妻は恐怖に泣きながら、「お許しください。これからはずっと孝行につとめます。」と誓った。そこで夫はしばらく妻の孝行ぶりを見てから判断することにした。
 その後ずっと妻は真心をつくして姑に仕えていたので、ついに夫は妻を許しました。そして嫁と姑は実の親子以上に仲良くなり、世間でも評判になるほどでした。

(評釈 中江藤樹)
 この話からすると、仕えることのできないほど非道な姑はこの世にいません。ただ嫁が不孝であるために、姑も態度がきつくなり、姑の評判までも悪くなるのでしょう。不孝の罪は三千ある罪の中でも最も重いものであり、神仏が禁じていることをよく心得て、不孝の邪心が起こらないようにつとめましょう。孝行の功徳はこの上なく大きいことをよく理解すれば、孝行せずにはいられないでしょう。明徳の本心を明らかにして、精一杯姑に孝行するべきなのです。


[ メモ ]

 【子が母を殺す話は聞いたことがない】
 当時は親殺しなどとんでもないというのが常識だったのでしょう。悲しいことに現代では家族間の殺人のニュースは少なくありません。人間の本性を明らかにする努力をやめてしまったら、時代が進んでも文明は後退していくのです。
 




公開日 2010.11.8

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