鑑草 中江藤樹

第一巻
孝行と不孝の報い
第三話 三人の不孝な嫁に天罰がくだる

(現代語訳:青山明史)


 延平府の杜氏の家に三人兄弟がいました。父は既になく、母一人を兄弟で一日ずつ順番に世話していました。三人とも畑仕事で忙しいため、実際に母の世話をするのは三人の嫁でした。
 嫁たちは皆、欲張りで意地悪だったので、夫たちが仕事に出かけた後に、互いに母の世話を押しつけあいました。母の食事にしても、雑炊のような粗末なものでさえ与えるのを惜しむような有様でした。母はあまりにもつらくて、いっそ川にでも身投げして死んでしまおうと思うことが何度もありました。
 そして、ある年の七月のことでした。その日はよく晴れていたのに突然、空が曇ってきて、すさまじい雷の音が鳴り響きました。紫色の稲妻が光り、目もくらむほどでした。雷が落ちたのは杜氏の家でした。そして不思議なことに、三人の嫁の頭はそのままでしたが、首から下は獣に変わっていたのです。一人は牛の体となり、一人は犬の体となり、一人は豚の体となりました。
 この事が世間に知れ渡り、杜氏の家には見物人が大勢やって来ました。そうして三人の嫁はしばらく恥をさらしたのちに、ついに死んでしまいました。人々は三人の獣に変わった姿を絵に描き、世に広めて不孝の戒めとしました。

(評釈 中江藤樹)
 姑に孝行をつくすことは人の人たる行いであるのに、これを捨てて強欲かつ残忍であることは、まさに畜生の行いですから、たとえ姿が人間のままでも人ではなく畜生です。だから、この話のような不孝者は「人の皮をかぶった畜生である」と言われます。さらにこの三人の嫁の場合は、畜生のような行いがひどすぎたので、天の神が雷神に命じて、人の皮をはぎとり畜生そのものの姿をあらわして、人の皮をかぶった畜生どもをこらしめてくださったのです。
 外見が人であるだけでは、人とはいえません。人としての正しい行いがなければ畜生と同じです。私たちもよく自分を戒めるべきでしょう。不孝者で畜生の行いをする人は、たとえ現世にて畜生の姿に変わらなくても、未来には必ず畜生道におちる事をこの故事からよく理解しましょう。


[ メモ ]

 【天の神】
 原文では「上帝」で、道教の最上位の神のことです。
 


公開日 2011.11.16

鑑草のトップページへ

HOME