鑑草 中江藤樹

第六巻
廉貪の報い
序文

(現代語訳:青山明史)


 廉(れん)とは、むさぼらないことです。貪(とん)とは、むさぼることです。むさぼるというのは、欲深く、金に汚く、財宝に執着することです。
 そもそも、財宝とは天下の万民を養うために天地が作り出したものですから、かりそめにもむさぼって一人占めするものではありません。廉であれば、財宝を自分一人のために使おうという欲はありません。そんな欲がなければ、財宝を蓄えるのも、人に与えるのもみな道理にしたがい、自分のためにもなり、人のためにもなる使い方をして、万物一体の本心が明らかです。そのように、万物一体の仁愛が明らかで、財宝を自分のためだけに使うことなく、人のために使うのは天道が味方することなので、必ず素晴らしい報いがあります。もしこの本心を失って、財宝を自分だけのために使おうとむさぼる時は、万物一体の仁愛が覆い隠れて、ただわが身のためだけを考えて、人の迷惑になるのも顧みません。少しの私欲さえ天道の許さないものだというのに、財宝を自分のためにむさぼり、人に迷惑をかける心行は虎狼(ころう)のようなことなので、必ずや恐ろしい報いがあるでしょう。
 そもそも、小人(しょうじん)がむさぼるのは、自分のためを思う心から起こって、得するように感じるからです。しかしながら、世間の人はこれを憎み、天道はそれを否定するので、やがて恐ろしい報いがあり、その損は少なくありません。結局は自分のためにならないことです。
 君子が廉であるのは、自分のためを考えない、損なことのように思えます。しかし、世の人々はこれを尊敬し、天道はこれに味方してくださるので、やがて素晴らしい幸福がきます。ですから、その得は非常に多く、自分のためのすぐれた策略なのです。むさぼるのは得に似た損であり、廉は損に似た得ということです。
 陰陽論で夫婦というものを考えると、夫は陽に属するもので、その性質は発散を主としているので、財宝を使ったり、人に施したりする役割なのです。妻は陰に属して収斂(しゅうれん)を主としているので、財宝を蓄え貯めておく役割なのです。しかし、そうはいっても陽の中にも陰がありますから、夫は財を生み出すために働きます。また、陰の中にも陽があるので、妻は家の中で財を使います。陰陽の発散と収斂は全て太極(たいきょく)にしたがうので、財宝を与えるのも蓄えるのも全て道理に従うのが廉ということです。廉な人はよく蓄えるといっても、惜しむ心がないので、人に与えるのも人に貸すのも気前がよく、人から好かれます。むさぼる人は貯めこんでいますが、惜しむ心が強いので、人に与えたり貸したりするのをしぶって、人の恨みを買うのです。本当によく理解すべきことです。

 ある人の問いです。「財を使う上での道理はどこにあるでしょうか。」
「自分の心に万物一体の仁愛があります。これが道理の根本です。この心で判別して、与えるべきか、貸すべきか、あるいは蓄えるべきか、施すべきかが分かる心が即ち道理なのです。この道理に従って財産を使えば、福分の厚い人なら、お金に困ることはありません。福分のうすい人でも飢えたり住む所がなくなったりすることはありません。」

 また、ある人の問いです。「むさぼらなければ、財産は集まりにくいようです。だからことわざにも、がめついならばけちけちせよ、金持ちならばけちけちせよ、と言いますが、どうでしょうか。」
「それは財宝の本質をわきまえず、いたずらに金銀を集めて箱に入れて、富と思い得と感じる迷いから生じる疑問です。金銀を集めて、自分でも使うことなく、人にも与えないような人を古人はカネの奴隷と呼んで軽蔑しました。そもそも金銀が大事な宝であるのは、自分の必要なことに使い、人が困っている時に助けるためです。しかしむさぼる人は金銀を惜しむ心が深いので、自分のためにも使うことなく、箱に入れて倉の中にしまっておきます。このような不義の蓄財によっていろいろな難儀が起きてしまったら、金銀も宝としての役割を全く果さずに、石や瓦と変わりありません。このように集まっても意味がない物を集めようと願って貪心を捨てないのは、愚かさの極みでありましょう。その上、廉と貪との得失の差はわずかなことですから、廉であっても金銀が集まらないという道理はありません。なぜなら、普通は少しでも取ってはいけないものを、強引にとるのは盗賊ですから、むさぼる人でも取ることはできません。必ず与えるべきものを与えなかったら、すぐに世間とのつきあいができなくなりますから、むさぼる人でも与えないわけにはいきません。むさぼる人の得というのは、たとえば、百銭受け取るべきところをむさぼって、百三銭取り、百銭与えるべきところをむさぼって、九十七銭与えるくらいのことです。この三銭くらいの得を、塵もつもれば山となると思ってむさぼり、財宝とともにわざわいもまた山のように集まる事がわからずに、灯の火に飛び込む虫のようになるのは、実に哀れで情けないことです。」

 




公開日 2011.5.11

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