楊誠斎(ようせいさい)の夫人の羅氏(らし)は、とても仁徳の高く、召使いたちにも優しい人でした。七十歳を過ぎていましたが、朝早く起きて自らお粥をつくり、召使いたちに食べさせてから働かせていました。
冬のある日、羅氏の子、東山(とうさん)が母に言いました。
「このような寒い季節に、わざわざお体が冷えるような事をするなど、とんでもない事です。もうおやめください。」
羅夫人は答えました。
「召使いもまた人の子です。この時期は朝はとても冷えますから、お粥でお腹を温めて、その苦労をやわらげたいのです。」
東山はさらに言いました。
「母上は主人の妻であり、もう年老いていらっしゃるのに、このような卑しい仕事をなさるというのは、おかしな事です。その上、冬の朝にひどく寒い思いをなさるのは、とてもつらいことでしょう。風邪をひくかもしれません。とにかくお願いですからおやめになってください。」
しかし夫人は言いました。
「無理をしてこれをしているのではありません。私は楽しんでやっているので、寒いとも苦労だとも感じません。もしこれをやめたら私の心は落ち着かないでしょう。」
そして夫人はそれをやめることはありませんでした。
羅夫人は、八十歳をすぎても糸を紡ぐ仕事をしていらっしゃいました。夫人には男子が四人、女子が三人いましたが、みな高い位について、一族は大いに栄えたということです。
(評釈 中江藤樹)
召使いのためを思って苦労も感じないというのは、慈母が赤ん坊を愛する時の心を持ち続けているということです。召使いは普通の人なら、あなどり軽んじるものですが、そんな召使いに対してもこの心を持ち続けているのなら、その他の人々に対する仁愛の深さはどれほどでしょうか。これほどすぐれた仁徳があったから、七人の子全員の幸福を作り出したのです。朝早く召使いのためにお粥をつくるということは真似することが難しいかもしれませんが、召使いもまた人の子だと思う心は、誰もが見習うべきものです。
[ メモ ]
【楊誠斎】
南宋の詩人・学者の楊万里のこと。誠斎先生とも呼ばれていました。
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