鑑草 中江藤樹

第五巻
慈善と残悪の報い
第二話 残酷な継母

(現代語訳:青山明史)


 徐甲(じょこう)の妻の許氏(きょし)は男の子を一人産んで、鉄臼(てっきゅう)と名付けました。それからまもなくして許氏は亡くなりました。徐甲は陳氏(ちんし)を娶って後妻にしました。陳氏は継子に対してとても冷たい人でした。陳氏も男の子を一人産みました。その子に鉄杵(てっしょ)と名付けました。前妻の子の鉄臼という名前は鉄のうすという字なので、自分の子に鉄のきねと名付けて、思う存分に継子をついてやろうと企んだのです。
 夫の徐甲はもともと鈍感で気の弱い男でした。その上、仕事でいつも旅に出ていて、家にいることがあまりなかったので、継母のやりたい放題でしたから、継子の鉄臼への虐待は数えきれないほどでした。こうして何年もいじめた末、鉄臼が十六歳の時にはとうとう食事を与えずに餓死させてしまいました。陳氏は継子を殺して、もう思いのままの生活だと喜んでいましたが、鉄臼が死んでから十日あまりすぎた頃に突然、家の中で誰かの声が聞こえ始めました。驚いていると、その声は陳氏のそばで語り始めました。
「我は鉄臼の怨霊である。我は何の罪もないのに継母にいじめ殺されたので、わが母が恨みを天帝に訴え、既に裁きが下された。天罰として、お前の子、鉄杵をとり殺すために来たのである。今日から継母が我をいじめたのと同じやり方で鉄杵を傷つけ苦しめて、ついには殺すであろう。どうか我が恨みを思い知っていただきたい。」
 このように語るその声は、鉄臼が生きていた時のものと全く同じでした。家中の人は驚いてあちこちを見ても、どこにも誰もいないのでした。
 その日から、いつもその声が天井のあたりから聞こえてくるようになりました。陳氏はとても恐くなって、いろいろな供え物をして、お祓いをしてもらったり、僧侶を呼んでお経をあげてもらったりしました。そうやって何度も許しを乞いましたが、ただあざ笑う声がするだけでした。ある時は「この家を壊そう」という鉄臼の声がして、大きなのこぎりをひくような凄まじい音がするので、家中の人が皆あわてて逃げだしましたが、外へ出ると音はやみ、家はどこも壊れていませんでした。またある時は、「継母は我を殺しておいて、この家でのうのうと暮らしているのか。こんな家は焼き払ってしまえ」という声がして、すぐに火が燃え広がって、家中炎に包まれたように見えましたが、しばらくすると元通りになって、どこも焼けていませんでした。
 このように恐ろしく不思議なことが次々に起こり、その間にも、継母にいじめられた事をいちいち数えあげては、恨みを言い継母を責める鉄臼の恐ろしい声が聞こえました。この時、後妻の子の鉄杵は六歳でしたが、怨霊のたたりによって、腹がふくれ上がり、身体のあちこちが痛くなって泣き叫ぶ様子は、目も当てられぬほどにかわいそうでした。怨霊に叩かれたように見える所は青黒く腫れて腐りました。このようにひと月以上にわたって苦しめられた末に、ついに鉄杵は死んでしまいました。そしてその日以来、怨霊の声は聞こえなくなったのです。



(評釈 中江藤樹)

 継子とわが子は本来一体というのが理ですから、継子をいじめるのは、わが子をいじめる事です。継子を愛するのはわが子を愛することです。このように天の理が決まっているのですから、陳氏が継子を虐待したことが、このように陳氏への報いとなったのです。珍しい事だと思ってはいけません。本来、継母が継子に冷たくするのは、実の子を愛する気持ちが強すぎるからです。もし、わが子に報いがある事が少しでもわかっていたら、陳氏が強欲で残忍だったとしても、あれほど継子をいじめることはなかったに違いありません。この例を鑑として、わが子を思う人は、決して継子をおろそかにしないで下さい。

 




公開日 2011.3.21

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