鑑草 中江藤樹

第五巻
慈善と残悪の報い
第一話 魏国の慈母

(現代語訳:青山明史)


 魏国(ぎこく)の将軍、芒卯(ぼうぼう)の妻は、五人の子を産んだ後、若くして亡くなりました。家事や子育ては妻なしではやっていけないので、芒卯はやむをえず、孟陽の娘を娶って後妻にしました。後妻も三人の子を産みました。
 この後妻は、普通の継母とは違って、慈愛が深かったので、わが子と継子の差別をしないで同じように可愛がりました。ところが、五人の継子たちは継母をきらって、なつきませんでした。継母はそれをとがめず、自分の世話が不十分なのではと反省して、着る物や食べ物などなんでも継子に良い物を与えて、わが子には粗末なものを与えました。しかし、継子たちの心は変わりませんでした。それでも継母は継子をとがめる気持ちはなく、ただ自分の心遣いが実の母に及ばないからだろうと思い、ますます愛情深く育てました。
 ある時、継子の一人が国の掟(おきて)を破ったので、死刑にされることが決まり、牢屋に入れられました。継母は嘆き悲しみ、やせ衰え、何とかして継子の罪を許してもらえないかと、必死に手を尽くしました。
 ある人が継母に、
「継子とはいえ、あなたに大切に育てられても親不孝だったのだから、そこまで悲しむことはないでしょう。」
と言うと、継母はこう言いました。
「実の子だったら親不孝だとしても、必ずその子を危機から救おうとするでしょう。ましてわたしは継母ですから、いっそう手を尽くさなければならないのです。なぜなら、この子たちの母が死んだことによって、主人はわたしを娶って、亡き母に代わって養育させているのです。人の母になってその子を愛さないのは虎狼(ころう)にも劣ります。自分が産んだ子だけを愛して、継子を嫌うのは、人の人たる義に反しています。愚かなわたしですが、けだもののような心を持つことは耐えられません。」
 そして最後の手段として、継母は国王へ直訴状を送りました。それを読んだ国王は、継子を深く愛する心に感銘をうけて、継子の罪を許してくださいました。それからは、五人の継子は後妻の愛が本当だとわかり、実の母のように思って、実の子以上に親孝行するようになったので、八人の子どもたちは皆、同じ母から生まれたかのように、とても仲良くなりました。
 この母は大切に育てるだけでなく、子どもたちに礼儀作法と人の道を教えたので、みんな善人になり、八人ともに魏国の大夫卿士(たいふけいし)の位について、とても栄えました。これによって、この母は“魏国の慈母”として天下に名を上げて、末代までの手本になったのです。


(評釈 中江藤樹)

 わが子と同じように継子を愛することさえ、普通ではなかなかありません。その上、継子から嫌われてもとがめずに自分を責めて、継子を第一にして可愛がり、実の子をおろそかにするだけでなく、わが子のようにその罪から救ったというこの母の心構えは、実に君子であっても難しいものであり、めったにいないほどの賢女です。
 しかし、誰にでもこの母のような心がないわけではありません。この母の心は、人の本性なのです。本性は人生の根本ですから、身分が高くても低くても、賢くても愚かでも、全ての人に備わっているのです。多くの人は利欲に溺れて、本性を失いますが、魏国の慈母は心に利欲のけがれが無く、本性が明らかであったということです。それだったら凡人には出来ないことだと考えないでください。そもそも子どもに多く恵まれ、家が栄えることは誰もが願うことなのですから、魏国の慈母が継子を愛する慈愛の徳によって、五人の継子が実の子同然となり、その報いとして実の子の三人とともに大いに栄えたというこの例を鑑として、この魏国の慈母の心で人の本性を触発してください。


[ メモ ]

【慈善と残悪】
 この巻の序文によると、慈善とは継子を我が子同様に愛することで、残悪とは継子を嫌っていじめることの意味です。

 この章の序文は省略します。
 


 

公開日 2011.3.21

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