鑑草 中江藤樹
第四巻
教子の報い
第四話 貧しい母が名将を育てる
(現代語訳:青山明史)
陶侃(とうかん)の家は代々貧しい暮らしをしていました。幼い侃が学問を習い始めたので、母は糸をつむぐ仕事をして生活費のたしにしていました。その後、侃は県の役人になって、漁の監督をする仕事をしました。そして、侃は捕れた魚を鮨(すし:酢漬けの魚)にして母親に持っていきました。しかし、母親は受け取らずに息子を戒めて言いました。 「役人になって公の仕事で得た物を私に贈って喜ばせようとするとは、愚かで情けないことです。お前がこのような不正をするとは、本当に悲しくてたまりません。親を喜ばせようと思うなら、ただ忠義廉直(ちゅうぎれんちょく)に努めてください。」 陶侃はもともと優れた人でしたから、母の厳しい戒めを聞くと、それまで以上に忠義廉直を心がけ、ついには武将として大きな手柄を立てたので、八州(はっしゅう)の長官になり、大いに富み栄えました。 (評釈 中江藤樹) 貧しさを受け入れ、道徳を第一とすることは、一人前の男でも難しいことです。陶母のこのような態度は実に類のない立派な事です。この一つの事からしても、陶母の子育てが全て正しい道に則っていた事が想像できます。このような教えによって、子が英雄になり、代々の貧乏から抜け出して長官の位に出世したので、母も何不自由のない暮らしができるようになったのです。ただ子孫の繁栄することを願うだけで、子に道徳を教えないというのは、木の上に魚を探すような事なのです。 [ メモ ] 【漁の監督】 原文では「魚梁の奉行」で、正確な意味は分からなかったのですが、民間の漁業ではなく、国のために魚を獲る仕事の監督だと思います。 【八州の長官】 荊州などいくつかの州の長官になりました。 |
公開日 2011.3.2