鑑草 中江藤樹

第四巻
教子の報い
第二話 孟母の教え 

(現代語訳:青山明史)


 孟子の母は徳が高く、よい母親でしっかりと子に教育をしました。
 孟子が幼い時、外から帰ってきて
「隣で今、豚を殺していましたが、何のためでしょうか。」
と、母に問いました。
 母は思わず、「お前に肉をごちそうするためだよ。」と冗談で言ってしまいました。しかしすぐに、君子は胎教といって胎内の子にさえ教育するというのに、既に物心がついているわが子をからかって、人をあざむく心を呼び覚ますのはとんでもない事だと後悔しました。そこでひそかに豚肉を買って、
「さっきお前に話した豚の料理ですよ。」
と言って、孟子に食べさせました。無理をして高価な肉を買って、子に嘘をつかれたと思わせないようにしたのです。

 孟子が成長して、先生について学問をしていた頃、里帰りしたことがありました。孟子が帰ってきた時、母は織機で絹の布を織っているところでした。母は孟子にたずねました。
「用もないのに里帰りしたというからには、学問のかたがついたのですか。」
 しかし、そうではなかったので、孟子は、はっきりと答えることができませんでした。
 すると母は、小刀で織りかけの布を真っ二つに切ってしまいました。そして孟子に言いました。
「学問に油断をするということは、このように織る途中の布を切るのと同じです。」
 母の厳しい戒めに孟子はとても驚き、深く反省したのでした。その後はひたすらに学問に打ち込んだので、孟子はついに大学者となり、諸侯から貴族の位を与えられました。死後も孔子廟に儒教の大聖人として祀られ、名声は今にいたるまで長く伝わっています。


(評釈 中江藤樹)
 孟母が子のために高価な豚の肉を買った心は、まことに珍しく、素晴らしい教えです。子を育てる人は誰でもこの心を手本として、わが子のわがままの心、人と争う心、貪欲の心、憎しみの心、人を見下す心などを呼び覚まして、癖をつけないように注意することが一番大事です。
 孟母が織りかけの布を切った事は、あまりにも無茶な事のように思われますが、徳を明らかにすることが天下第一で、人間の最も大事なことだとよく分かっていて、息子が学問を怠ることなく明徳を明らかにすることを願う心が非常に深かったので、思わずあのような事をしたのでしょう。母の心の深いところから出た戒めでしたから、孟子への影響も深く、ついに母の願い通り立派な学者になったのです。これを鑑として、子に教えるべき事を心得て、よく戒めるようにしてください。


[ メモ ]

 【諸侯から貴族の位を与えられ〜】
 ウィキペディアによると、孟子が高く評価されるようになったのは、死後かなりたってからです。政府から鄒国公の位を追贈されたのは死後1300年以上たった1083年のことでした。その翌年に孔子廟に孔子像の隣に祀られるようになりました。儒教では孔子に次ぐ地位とされ、亜聖公とも呼ばれます。

 


公開日 2011.3.2

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