鑑草 中江藤樹
第四巻
教子の報い
第一話 胎教で聖王を産む
(現代語訳:青山明史)
周の人、季歴の妻の太任(たいじん)は、素直で誠実で慈悲深い人でした。子を身ごもっている時には、いっそう生活を慎み、胎教をよく行いました。そうして生まれたのが昌(しょう)で、後の文王です。昌は聖徳が明らかであらせられ、正しい道を世に広め、天下の人々をお救いになったので、周王朝が八百年間にわたって繁栄するもとになったのです。 [ メモ ] 【文王】 商王朝に仕える諸侯で、周の地を治めていました。周王朝の創始者は文王の息子の武王で、死後に文王と呼ばれるようになりました。善い政治を行なったので、儒教では理想の君主の一人とされています。 【悪い声を聞かないように】 原文は「邪なる声をきかず」ですが、声は人の話す声なのか、音楽のことなのか判別できません。胎教的には悪い言葉、耳障りな音楽の両方を避けるべきでしょう。 |
公開日 2011.3.1