鑑草 中江藤樹

第三巻
不嫉と妬毒の報い
第三話 女中に嫉妬した妻への天罰 

(現代語訳:青山明史)


 嵩陽(すうよう)の杜昌(としょう)の妻の柳氏は、妬み深い女でした。杜氏の家に金荊(きんけい)という女中がいました。ある時、杜昌が髪を洗った後に、ひそかに金荊を呼んで髪を櫛ですかせていました。それを柳氏が見つけて激しく怒りました。腹立ちのおさまらなかった柳氏は、金荊の両手の小指を切り落としてしまいました。するとある日の夕暮れ時に、どこからともなく狐が出てきて柳氏の指に噛みつき、食いちぎってしまいました。
 その後、杜昌の女中になった玉蓮(ぎょくれん)という女は声が非常に美しく歌が上手だったので、杜昌は時々歌わせては聞き入っていました。柳氏はそれを妬んで、ある時玉蓮をつかまえて、「お前のこの舌があればこそ、夫も喜ぶのでしょう」と言って、舌を引っ張り出して切り取ってしまいました。しばらくすると、柳氏の舌がひどく腫れて激しく痛みました。どんな治療も効果がなく、ついに舌がとれて落ちそうになりました。これは女中の舌を切ったことの報いだと思ったので、柳氏はある高名な道士に事情を話して、祈祷を頼みました。すると道士は言いました。
「お前は嫉妬の心が深く、女中の指を切った時に狐が来てその報いをあらわしたというのに、それにも懲りず、また嫉妬の邪心にかられて別の女中の舌を切ってしまった。この舌の病はその報いなので、舌は切れて落ちるであろう。しかし神は慈悲深いので、お前が過ちを悔いて善人となり、今後一切の嫉妬の邪心を断ち切って、一途に不嫉の慈心を明らかにするなら、もしかすると祈祷の効果があらわれるかもしれない。」
 これを聞いて柳氏はひれ伏して頭を何度も地面にこすりつけて神を拝み、心の底から過ちを悔いて、善心を起こして一心に祈って神の助けを乞いました。そうして七日が過ぎて、道士が柳氏の口を開かせて祈祷の言葉を唱えたところ、一尺ほどの長さの蛇が二匹、柳氏ののどの奥から頭を出してきましたが、半分ほどで止まってしまいました。道士がさらに声を大きくして強く祈祷すると、ついに二匹の蛇は地面に落ちて、どこかへ姿を消しました。そしてやっと柳氏の舌の病は治り、元通りになりました。柳氏はそれ以来深く反省して、信心深くなり、嫉妬することは全くなく、慈悲深い人になりました。


(評釈 中江藤樹)
 万物はすべて一つの心から生じるものなので、一つの思いに執着すれば、それが形となって現れます。嫉妬の心はすなわち蛇のような心です。蛇心に捕らわれたら、必ず蛇道に落ちるのです。そんなわけで、柳氏の妬毒が凝り固まって、蛇の姿になって腹の中でとぐろを巻いていたのです。そして天罰に驚き、道士の教えを聞いてから真剣に悪心を善心に改めたので、天に祈りが通じて身体の中に隠れていた毒蛇が這い出てきて消え失せました。
 柳氏に限らず妬毒の蛇心がある人には必ず腹の中に毒蛇がとぐろを巻いていますが、普通は姿を現さないのです。それに気がつかないままなので、自分の過ちを悔いて改心することができません。常に蛇道の苦しみから逃れられず、長い間楽しい気持ちになれず、また死後には地獄で毒蛇の責めを受け、永遠に救われることはありません。その時になって後悔しても遅すぎるのです。それにくらべると柳氏が生きているうちにはっきりと報いを受けたのは不幸のようでいて実は幸運だったのでしょう。
 神はきわめて慈悲深いので、過ちを悔いて善人になることをお喜びになるので、柳氏の妬毒の罪は非常に重かったわけですが、心から反省していたので柳氏をお許しになりました。もし本心から悔い改めていなかったら、道士の祈りも効き目がなかったでしょう。この故事を鑑として、嫉妬の心が生じた時には、過ちを改め、善心を起こしてわざわいを幸福に変えてください。


[ メモ ]

 【道士】
 
 原文では禅師ですが、言動が禅宗よりも道教を思わせるので道士としました。

 【万物はすべて一つの心から生じる】
 訓話は中国の話をそのまま引用しているだけで、藤樹は嫉妬心が蛇になって口から出てきたという話をそのまま信じていたかは疑わしいと思います。しかし、「万物はすべて一つの心から生じるものなので、一つの思いに執着すれば、それが形となって現れます」というのは藤樹は本心でそう思って書いているのではないでしょうか。とても重要な部分だと思います。


 



公開日 2010.12.25

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