鑑草 中江藤樹

第三巻
不嫉と妬毒の報い
第一話 宋国の女宗 

(現代語訳:青山明史)


 宋国の人、鮑蘇(ほうそ)の妻は姑にとても孝行を尽くしていました。鮑蘇は衛の国で宮仕えすることになりましたが、家族を残して自分一人だけで行きました。そして三年がすぎましたが、一人での暮らしが寂しくなったのか、衛の国でも妻をめとりました。この事は故郷には隠していましたが、ついに知られてしまいました。しかし鮑蘇の妻は少しも怒る様子はありませんでした。そして鮑蘇へ送る衣服などはいつも以上によい品物を用意して、さらに衛の国でめとった妻への贈り物まで添えて、妬む心は全くありませんでした。兄嫁はもどかしく思って、妻に言いました。
「鮑蘇はすでに他の女を妻としたのですから、あなたはもうこの家にいても仕方ないでしょう。すぐに実家へ帰ってしまえばいいのに。」
 妻はそれに答えて言いました。
「婦人は一度結婚したら、夫がたとえ死んだとしても二度と他の男性とは交際せず、舅と姑に孝行を尽くし、心には夫のみを想うことを貞といい、聖人の教えの通りに夫に従うことを順といいます。夫婦の絆は貞順にもとづくものであり、夫婦の交わりによるものではありません。貞順というおおもとがないのにただ身体だけで結びついている夫婦は人の道に外れています。そもそも礼法が定めるところでは、天子の后は十二人、諸侯なら九人、郷大夫(けいたいふ)は三人、士(さむらい)は二人の妻を持つことができます。私の夫は士なので二人の妻がいても間違っているとは言えません。その上、夫が妻を離縁する理由となる七去の罪というものはありますが、妻が夫を捨て去る正当な理由は一つもありません。七去の罪の一つ目は舅と姑への不孝、二つ目は子供ができないこと、三つ目は淫乱であること、四つ目は嫉妬深いこと、五つ目は重い病気であること、六つ目はおしゃべりで口が悪く、嘘つきであること、七つ目は物を盗むことです。この中の四番目に嫉妬の罪があります。だから、もし私に悋気の心があれば義姉上さまは私を叱るべき立場であるのに、私に妻からの離縁という不義をお勧めになるとはどういうことですか。」
 そして妻はひたすら姑に孝行を尽くしていました。
 宋の国王はこの話をお聞きになって、非常に感心して、このような婦人は女の手本であるとおっしゃいました。鮑蘇の家に勅使をつかわして、その妻に女宗(じょそう)という称号を贈ってその名誉をあらわして、国中の婦人の模範としました。その後、鮑蘇の家は大いに繁栄しました。

(評釈 中江藤樹)
 婦人の身で国王から勅使をおくられ、名誉ある称号を王から頂くということは実に珍しいほどの幸いです。これはひとえに孝行と不嫉の徳が明らかだったからです。誰もがこのような素晴らしい名誉を願いますが、孝行と不嫉の徳を明らかにすれば、求めなくても自ずから得られるのです。この理をわきまえず、自分の徳を明らかにすることなく、嫉妬に胸をこがして、幸せを失う人がいます。これは宝の山に入っていながら手ぶらで帰るようなものです。


[ メモ ]

 【礼法が定めるところ】
 昔の中国の身分制度では、王(天子) − 諸公 − 卿 − 大夫 − 士 − 庶民 − 奴隷、の順でした。士以上が貴族階級で、二人以上の妻を持つことが礼法では許されていたようです。

 



公開日 2010.12.25

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